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福岡地方裁判所 平成11年(わ)270号 判決 2000年6月29日

主文

被告人を懲役一〇年に処する。

未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一  法定の除外事由がないのに、平成一一年一月二六日ころ、福岡市早良区原<番地略>の甲野花子方において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンの塩類若干量を加熱して気化させ、これを吸引し、もって覚せい剤を使用した

第二  甲野花子と共謀の上、同月二七日、前記場所において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンの塩酸塩を含有する結晶約0.174グラムをみだりに所持した

第三  平成九年八月二二日午前零時三〇分ころ、福岡県太宰府市大字大佐野<番地略>付近路上において、殺意をもって、乙山太郎(当時五二歳)の胸部を所携の刺身包丁で一回突き刺し、よって、そのころ、同所において、同人を胸部刺切創による大血管(上大静脈及び大動脈)損傷に基づく外傷性出血により死亡させて殺害した。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

罰条

判示第一の行為

覚せい剤取締法四一条の三第一項一号、一九条

判示第二の行為

刑法六〇条、覚せい剤取締法四一条の二第一項

判示第三の行為

刑法一九九条

刑種の選択

判示第三の罪

有期懲役刑を選択

併合罪の処理

刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(最も重い判示第三の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重)

未決勾留日数の算入

刑法二一条

訴訟費用の不負担

刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(争点に対する判断)

第一  殺人に関する被告人の供述調書等の証拠能力

一  弁護人の主張

弁護人は、被告人の殺人事件に関する各供述調書(乙一四ないし二一、二三ないし三五、四〇ないし四三)、実況見分調書(甲七〇、七一)の証拠能力について、次のとおり主張する。

1 捜査官は、被告人を殺人罪で逮捕・勾留するだけの疎明資料がなかったことから、覚せい剤事件について発付された令状を利用して別件の重大事件である殺人事件の取調べを行い、その後、弁護人が二度にわたって異議を申し入れたにもかかわらず、それを無視して右取調べを続け、刑事訴訟法の定める令状主義に違背した(なお、右はいわゆる「違法な別件逮捕・勾留」の主張であると考えられるが、その主張には、覚せい剤事件の逮捕・勾留自体が適法な場合であっても、殺人事件についての取調べは「違法な余罪取調べ」として許されないとの主張も含まれているものと解する。)。

2 捜査官は、覚せい剤事件での起訴後も、弁護人が改めて異議を申し入れ、被告人自身も殺人事件についての取調べを拒否していたにもかかわらず、起訴後の勾留を利用して余罪である殺人事件の取調べを続けたもので、任意処分としてのみ取調べが許されるという刑事訴訟法の趣旨を逸脱した。

3 右のとおり殺人事件の逮捕前からすでに殺人に関する強制捜査が行われており、これは厳格に身柄拘束の期間を限定している刑事訴訟法の趣旨に反するから、殺人事件による逮捕・勾留は違法である。

4 したがって、被告人の殺人事件に関する各供述調書(乙一四ないし二一、二三ないし三五、四〇ないし四三)、違法な身柄拘束の状態を利用して実施・作成された実況見分調書(甲七〇、七一)は、いずれも違法収集証拠であるから証拠能力が否定されるべきである。

5 仮に、被告人の右各供述調書が違法収集証拠ではないとしても、殺意を認めた部分は、捜査官が勝手に作文した上、余罪をいくつも立件して長期間服役させると脅して被告人に署名指印を強要したものであるから、任意性が否定されるべきである。

二  被告人の供述調書等に関する審理の経過

1 本件第二回公判期日において、検察官から、被告人の各供述調書(乙一四ないし三五)が殺人の犯行状況等を立証趣旨として、実況見分調書二通(甲七〇、七一)が犯行状況の再現等を立証趣旨としてそれぞれ取調請求がなされ、弁護人は、右各供述調書については、前記一のとおり、違法収集証拠であり、また、その自白部分は任意性を欠くとして取調べに異議を述べ、実況見分調書二通については取調べに不同意であると述べた。

2 当裁判所は、第三回公判期日において、右実況見分調書二通につき、それぞれその作成者である警察官の証人尋問を経ていずれも刑事訴訟法三二一条三項により証拠採用決定をしてこれを取り調べた上、被告人質問を行い、被告人の留置状況に関する証拠(甲七五、七六)及び被告人の取調べに関与した警察官二名の証人尋問(第五回及び六回公判期日)を行うなどして、被告人に対する殺人事件の取調べ状況を明らかにするように努めた。その結果、当裁判所は、ひとまず被告人の自白には弁護人が主張するような任意性を疑わせる事情はないとの判断に達したことから、弁護人の違法収集証拠の主張に対する最終的な判断は判決中で行うこととした上で、第八回公判期日において、被告人の前掲各供述調書のうち一通(乙二二)を必要性なしとして却下し、残りの二一通(乙一四ないし二一、二三ないし三五)につき証拠採用決定をしてこれらを取り調べた。

3 第五回公判期日において、検察官から、供述経過を立証趣旨として被告人の殺人に関する供述調書五通(乙三九ないし四二、四六)、弁解録取書二通(乙四三、四四)、陳述調書(勾留)一通(乙四五)の取調請求がなされ、弁護人は、そのうち供述調書二通(乙三九、四六)、弁解録取書一通(乙四四)、陳述調書(勾留)(乙四五)については取調べに異議がないと述べ、供述調書三通(乙四〇ないし四二)、弁解録取書一通(乙四三)については、違法収集証拠であるとして取調べに異議を述べた。当裁判所は、第五回及び第七回公判期日において、いずれも右の立証趣旨で証拠採用決定の上取り調べた。

三  殺人事件の捜査の経過

関係各証拠によると、被告人が殺人事件により起訴されるまでの間の取調べ、供述調書の作成、弁護人との接見の各状況は別紙のとおりであり、捜査の経過は、次のとおりであることが認められる。

1 事件の発生と捜査の端緒

(一) 平成九年八月二二日午前六時三〇分ころ、福岡県太宰府市大字大佐野<番地略>付近路上において、乙山太郎(以下、「被害者」という。)が多量の出血をして死亡しているのが散歩中の男性によって発見され、同日の鑑定の結果、被害者が胸部刺切創による大血管(上大静脈及び大動脈)損傷に基づく外傷性出血により死亡したことが明らかとなったため、福岡県筑紫野警察署(以下、「筑紫野署」という。)に捜査本部が設置され、殺人事件として捜査が開始された。

(二) 被告人は、数日後、自分に疑いがかけられることを避けるために、自ら知り合いの警察官を通じて筑紫野署の捜査本部と連絡を取った上、同月二六日には、福岡県中央警察署で取調べに応じ、被害者への金銭の貸付状況等に関する被告人の警察官調書(乙三九)が作成された。

(三) 捜査本部では、被害者の死亡保険金の受取人や債権者等の金銭関係を中心に捜査を進め、いずれも有力な手がかりは得られなかったものの、甲田五郎警部(以下、「甲田」という。)が殺人事件の捜査班長として筑紫野署に着任した同一〇年八月末ころまでには、容疑者として四〇名前後の関係者のリストアップを終えた。そのころ、捜査本部は、被告人とも接触し、事情聴取を行うと共にポリグラフ検査を実施し、その後の捜査の進展により、被告人に対する殺人容疑を固め、同一一年一月二七日、当時被告人が寝泊まりしていた福岡市早良区原<番地略>の甲野花子(以下、「甲野」という。)方を被告人に対する殺人の嫌疑で捜索すると共に、同日午後二時ころ、殺人事件の取調べを行う目的で被告人に対して筑紫野署への任意出頭を求め、乙田六郎警部補(以下、「乙田」という。)らが被告人から事情聴取を行ったが、被告人は、殺人への関与を全面的に否定した。

(四) 捜査官らは、被告人から事情聴取を続ける一方、同日午後三時ころ、甲野方から覚せい剤(判示第二の罪の所持に係る覚せい剤)を発見し、その後、甲野から、右覚せい剤は被告人から預かったものであるとの供述を得たことから、被告人が覚せい剤を使用しているのではないかとの疑いを抱き、同日午後六時ころ、被告人に対して尿の任意提出を促すと共に、覚せい剤の使用及び所持の各事実についても事情聴取を行った。その後、捜査本部は、被告人が提出した尿の鑑定を嘱託し、その結果の判明を待って、覚せい剤使用の事実で逮捕する方針を固めたが、その後も、そのまま被告人を筑紫野署に留め置き、殺人及び覚せい剤の両事件の事情聴取を続けた。

2 覚せい剤事件の起訴に至るまでの経過

(一) 同日午後一〇時過ぎころ、被告人の尿から覚せい剤成分が検出されたとの鑑定結果を得たことから、捜査本部は、殺人事件については後刻本格的な取調べを行うことにして、とりあえず覚せい剤使用の事実で逮捕状を請求し、そのまま被告人の身柄を筑紫野署に留め置き、翌二八日午前零時四〇分、被告人を覚せい剤使用(判示第一の罪)の事実により通常逮捕した。その後、引き続き、甲田が覚せい剤事件についても捜査の指揮を執ると共に、乙田が被告人の取調べを担当した。

(二) 同月二九日、被告人は、覚せい剤使用の事実により、筑紫野署の代用監獄に勾留され、同年二月七日、一〇日間の勾留延長が認められた。

(三) 本件弁護人である戊川七郎弁護士は、同月一日と七日に被告人と接見し、同月七日の接見後、乙田に対し、殺人事件についての取調べを止めるよう申し入れ、同月八日に弁護人選任届を提出し、同月一三日の午前中に被告人と接見した後、乙田に対し、再度、殺人についての取調べを止めるよう申し入れた。同弁護士は、同月一六日、弁護人辞任届を提出した。

(四) 同月一七日、被告人は、覚せい剤の使用及び所持の各事実により起訴されたが、引き続き筑紫野署の代用監獄に留置され、殺人事件の取調べを受け続けた。

3 殺人事件の逮捕に至るまでの経過

(一) 被告人は、覚せい剤事件で起訴された当日ころから、それまで全面的に否定していた殺人への関与を認める供述を始めたが、具体的なものではなかった。

(二) 同月一九日、捜査本部は、被告人の身柄を福岡県警察本部に移し、ポリグラフ検査を実施しようとしたが、一旦は承諾書の作成を拒否され、甲田の説得により承諾を得て、同検査を実施した。その後、捜査本部は、被告人の身柄を筑紫野署に戻して殺人事件の取調べを行い、その結果、同日、殺人事件に関する被告人の最初の自白調書(乙一四)が作成され、以後、同月二六日までの間に、殺人事件に関する自白調書等が一一通作成された。

(三) 戊川弁護士は、同月二四日、被告人から再度弁護人に選任されて弁護人選任届を提出し、同日の午後零時過ぎころ、被告人と接見した後、担当検察官である庚川八郎検事と乙田に対し、殺人事件について取調べをしていることに異議を申し入れた。

(四) 捜査本部は、被告人の自白調書等を疎明資料として殺人の事実による逮捕状を請求し、同年三月八日、被告人を通常逮捕した。

4 殺人事件の起訴に至るまでの経過

(一) 被告人は、同日の警察官による弁解録取においては殺人の事実を認めたものの、同月一〇日の検察官による弁解録取においては覚えていないとして右自白を翻し、その旨の弁解録取書(乙四四)が作成された。

(二) 戊川弁護士は、同日、庚川検事に対して、違法な身柄拘束である旨の異議を申し入れた。

(三) 同月二〇日、勾留延長が認められ、その前後を通じて被告人の供述調書が多数作成されたが、その内容は、殺人の実行行為と殺意に関していずれも曖昧であり、同月二八日付けの検察官調書(乙三五)において、比較的明確な自白調書が作成され、同月三〇日、検察官は、殺人の事実により被告人を起訴した。

四  当裁判所の判断

1 身柄拘束の経過

前記三で認定したとおり、被告人は、平成一一年一月二七日、殺人の嫌疑により家宅捜索を受けると共に、筑紫野署に任意出頭し、殺人事件についての事情聴取中に任意提出した尿から覚せい剤成分が検出されたことから、翌二八日未明に覚せい剤使用の事実で通常逮捕され、同月二九日引き続き同署の代用監獄に勾留され、勾留延長を経て満期日である同月一七日、覚せい剤の使用及び所持の各事実で起訴され(以下、右逮捕から右起訴までの身柄拘束を「第一次逮捕・勾留」又は「別件勾留」という。)、その後、引き続き、同署の代用監獄に勾留された後、同年三月八日、殺人の事実により通常逮捕され(以下、覚せい剤事件の起訴から殺人の逮捕に至るまでの身柄拘束を「起訴後勾留」という。)、更に、引き続き同署の代用監獄に勾留され、勾留延長を経て満期日である同月三〇日、殺人の事実で起訴された(以下、右逮捕から右起訴までの身柄拘束を「第二次逮捕・勾留」という。)ものである。

2 第一次逮捕・勾留の適否

前記のとおり、捜査本部では、被告人に任意同行を求めた時点で、すでに被告人に対する殺人の容疑を固めており、一方で覚せい剤事件での嫌疑を得たことから、殺人事件については後刻本格的な取調べを行うことにして、ひとまず被告人の身柄を拘束して覚せい剤事件についての捜査を遂行したことが認められ、また、証人甲田五郎及び同乙田六郎の各公判供述並びに別紙のとおりの取調時間、供述調書作成の経緯等によれば、別件勾留中にもある程度の時間が殺人事件の取調べに費やされたことが明らかであって、これらによると、捜査本部は、殺人の事実につき、未だ被告人の身柄を拘束するに足りるだけの資料が収集できていないと判断し、覚せい剤事件での身柄拘束状態を利用して、本件である殺人事件の取調べをも行う意図を有していたことは容易に推察することができる。

しかし、違法な別件逮捕・勾留であるかどうかを判断するにあたっては、まずは本件と比較したときの別件の罪の軽重を重要な指針とすべきところ、尿鑑定の結果によれば、被告人の覚せい剤使用の事実は、嫌疑が明白であった上、その罪質や法定刑等からすると、殺人に比べて軽いとはいえ、通常は公判請求される事件であり、殺人事件が存在しなければ通常立件されることがないと思われるような軽微な事件でないことは明らかである。右の点に加えて、前記認定のとおり、覚せい剤事件の捜査は、殺人事件の捜索の過程において偶然に覚せい剤が発見されたことを契機とするものであることからすると、別件勾留がことさら殺人事件の取調べを行うための手段とされたという事情も認められず、また、別紙のとおり、覚せい剤事件に関する各供述調書の作成状況をみても、通常必要とされる捜査が遂行されたと認められるのであって、これらの事実を総合すると、第一次逮捕・勾留の目的が、主として殺人事件の取調べにあったとみることはできず、むしろ、捜査本部としては、覚せい剤事件の捜査を遂行する中で、これと併行し、あるいは余った時間を利用して殺人事件の取調べをする意図であったとみるのが自然かつ合理的である。

したがって、第一次逮捕・勾留は、令状主義を潜脱するような違法な別件逮捕・勾留には当たらない。

3 第一次逮捕・勾留中の余罪取調べの適否

(一)  前記のとおり、当裁判所は、第一次逮捕・勾留自体は適法であったと考えるが、捜査機関がその期間中に当該逮捕・勾留されている事実以外の事実について被疑者を取り調べるという、いわゆる別件勾留中の余罪取調べが許されるか否かは、また別個の問題である。そこで、第一次逮捕・勾留中に行われた殺人事件の取調べが、余罪取調べとして許されるものであったかどうかが検討されなければならない。

(二)  別件逮捕・勾留中の余罪取調べが許されるか否かについて見解の対立があることは周知のとおりであるが、余罪についてもいわゆる取調受忍義務を課した取調べが許されるとする見解は、刑事訴訟法が、逮捕・勾留について、いわゆる事件単位の原則を貫くことにより、被疑者の防御権を手続的に保障しようとしていることに鑑み、採用できない。

別件逮捕・勾留中の余罪取調べについて限界を設ける見解には、余罪について事実上取調受忍義務を伴う取調べがなされたときは、これを違法とするものと、取調受忍義務に直接触れることなく、実質的な令状主義の潜脱があったときは、これを違法とするものがある。前者の見解によると、余罪について手続的な手当がなされたかどうか、すなわち、捜査機関が余罪の内容について被告人に明らかにした上で、その取調べには応じる義務がなく、いつでも退去する自由がある旨を被疑者に告知したかどうか(退去権の告知)、余罪についても黙秘権及び弁護人選任権があることを告知したかどうか(黙秘権等の告知)を審査し、これらの手続きが履践されていないときは、違法な取調べということになり、その取調べの結果作成された供述調書等は証拠能力を有しないとされる(ただし、別件と余罪が密接な関連性を有し、別件についての取調受認義務が当然余罪についても及んでいると考えられる場合や、別件に比して余罪が極めて軽微か、あるいは同種余罪であって、身柄拘束期間を短縮させるという意味において、被告人の利益のために余罪の同時処理を進める場合は、別論とされる。)。後者の見解によると、本罪と余罪の罪質・態様の異同及び軽重、両罪の関連性の有無・程度、捜査の重点の置き方、捜査官の意図等の諸要素を総合的に判断して、令状主義の実質的な潜脱があったか否かが判断され、その程度によって、その取調べの結果作成された供述調書等の証拠能力の有無が決せられることになる。

以下、本件における別件逮捕・勾留中の余罪取調べの当否を判断するについて、前記の両見解を念頭に置きつつ、検討を進めることとする。

(三)  本件の覚せい剤事件による逮捕勾留中に殺人事件に関する取調べも行われたこと、殺人事件の取調べに際し、乙田らが被告人に退去権及び黙秘権を告知した事実はなく、戊川弁護士が、乙田に対し、殺人事件での取調べを止めるよう二度にわたり申入れた後も、取調べに関する権利告知やその時間等に特段の変化がなかったことは、証人乙田六郎、同甲田五郎及び被告人の各公判供述によって明らかである。

被告人の取調べを担当した乙田は、その証人尋問において、覚せい剤事件による勾留中、被告人の方から、殺人について無実を証明してくれ、誰々が怪しいなどと積極的に言ってきたので、弁解を聞いたに過ぎない、被告人の弁解を聞いて、被告人は犯人ではないかも知れないと思っていた、戊川弁護士から殺人の取調べについて抗議を受けたので、被告人に殺人事件のことを言いたくないのであれば、これ以上話をするなと告げたが、その後も被告人の方から積極的に話をしてきた、被告人は、乙田に対し、弁護士から取調べに応じていることで怒られたが、自分は嫌々取り調べられているわけではないと述べていた旨供述し、本件捜査を統括していた甲田は、その証人尋問において、甲野方を捜索した時点において、被告人は殺人事件の容疑者の一人であり、犯人としてしぼり切っていたわけではない、二月七日に戊川弁護士から殺人事件の取調べについて異議を述べられたので、取調べはできないと思い、実際にも取り調べていないと思っていた、二月一三日にも同弁護士から同様の異議の申し入れがあったので、乙田に確かめたところ、被告人の方から自分は無実だから調べて下さいと言っているとの報告を受けた旨供述する。

しかし、丁田次郎(甲三七、三八)、春田三郎(甲四〇、四一)、夏田春子(甲四九)、秋田夏子(甲五三、五四)、冬田秋子(甲五七)、東田四郎(甲五九)、西田冬子(甲六三)及び乙山東子(甲六八)の各警察官調書、写真撮影報告書(甲四五)、写真の画像処理に関する報告書(甲四六)、犯行時間の特定に関する報告書(甲六九)によれば、本件殺人事件の捜査本部は、捜査の結果、被告人を覚せい剤事件で逮捕した平成一一年一月末当時、本件殺人事件発生当時現場付近で目撃されたたシルバーメタリック色のベンツに乗車していた者が本件に深く関わっており、被告人が当時同様のベンツを使用していたことを突き止めており、被告人が被害者に貸付けていた金員の返済を受けられないことで窮地に立たされていて、取立てのために被害者方をしばしば訪れていた事実を把握していたこと、捜査本部は、同月一三日以前の段階で、丙田一郎(以下、「丙田」という。)から、本件殺人事件の犯行推定時刻の数時間後に、被告人がベンツを運転して丙田方前路上に到着し、その車内から取り出した携帯電話機と電子手帳を丙田に預かってくれと頼み、その際、「乙山という男を殺してきた。誰にも言わんどって。」と打ち明けた旨の情報を入手していたことがそれぞれ認められ、これらの事実関係によれば、同本部では、被告人を本件殺人の容疑者としてほぼ絞りきっており、残された捜査としては、容疑を裏付ける証拠物の発見と被告人からの弁解聴取のみであったと考えられるから、有力な証拠物の発見が望めない以上、身柄を確保した被告人に対し、容疑を示してアリバイその他の弁解を求め、これに合理性がない場合には更なる弁解を求めるなどして厳しい追及を続けた可能性は極めて高いとみるのが自然である。したがって、殺人事件に関し、被害者との金銭関係、殺人事件前後の行動等やベンツのことを捜査官から聞かれ、殺人事件の取調べを止めてほしかったので、戊川弁護士にどうにかしてほしいと頼んだ旨の被告人の公判供述は信用性が高いというべきである。また、戊川弁護士が、覚せい剤事件の起訴以前に、捜査官に対し、二度にわたり殺人事件での取調べに異議を述べている事実は、被告人が、この間、殺人事件についても捜査官から追及的な取調べを受けていたことを裏付けると共に、同弁護士を通じて取り調べに応じる意思がないことを捜査官に明確に告げたものと評価すべきである。他方、被告人を単なる容疑者の一人とみていたとか、犯人ではないかも知れないと思っていたに過ぎない旨の甲田及び乙田の前記各供述はたやすく信用できず、被告人が、殺人事件についてあれこれ弁解していた旨の乙田の前記供述は、捜査官が容疑を示し、弁解を求めた結果としては理解できるものの、覚せい剤事件の起訴に至るまで殺人事件との関わりを全面的に否定していた被告人が、捜査官から何らの要求や発問がないのに、自ら弁解の機会を求め、あるいは一方的に弁解を始めたというのは到底考えられないことであり、この部分に関する乙田供述も信用できない。

(四)  右の考察によれば、第一次逮捕・勾留中に行われた殺人事件の取調べは、余罪取調べの適否に関する前者の見解によれば、余罪取調べとして許される範囲を超えていたとみることができる。そして、別紙のとおり、警察段階における覚せい剤事件の供述調書作成が同年二月一〇日までにすべて終わっていることからすると、同月一一日から一四日までの間、及び同月一六日午後の取調べは、もっぱら殺人事件の取調べに当てられたものと考えられ、これらが戊川弁護士の前記申入れの後であること、五時間余りから七時間余りという比較的長時間の取調べが連日行われていることを併せ考慮すると、少なくとも右の期間は、実質的な強制捜査として行われたものであって、その間の殺人事件の取調べは、令状主義を逸脱したものとして、前記の余罪取調べの適否に関するいずれの見解によっても、その違法性は明らかである。

4 起訴後勾留中の余罪取調べの適否

(一)  起訴後の被告人の勾留は、罪証隠滅を防止し、かつ、被告人の公判廷への出頭を確保するためのものであって、代用監獄に勾留されている場合は、特段の事情がない限り、起訴後速やかに拘置所に移監するのが相当である。そして、そのような立場にある被告人は、別罪につき新たに逮捕・勾留されないかぎり、いかなる意味においても取調受忍義務を負わないのであって、この点、別件につき逮捕・勾留され、その被疑事実について取調受忍義務を負っていた起訴前の立場とは微妙に異なる。したがって、起訴後勾留中の余罪取調べの限界については、基本的には前記3(二)の別件勾留中の場合と同様に考えてよいが、別件について訴訟当事者の立場になることを考えると、起訴前よりも厳格に、在宅被疑者の場合に準じた形で取調べの適否を判断する必要がある。

(二) これを本件についてみると、別紙の取調時間、供述調書作成の経緯によれば、捜査官は、覚せい剤事件の起訴日である平成一一年二月一七日から殺人の事実で逮捕された同年三月八日の前日までの一九日間の間、取調べ時間は第一次逮捕・勾留の場合と比べて全体的に抑えられているものの、二月二七日、同月二八日及び三月七日の三日間を除き、数時間にわたり、被告人をもっぱら殺人事件について取調べ、とりわけ、覚せい剤事件起訴当日の同年二月一七日から二二日までの間は、第一次逮捕・勾留中の前記違法な取調べに引き続いて、ほぼ連日、四時間前後から六時間前後の取調べを行い、その結果、殺人の故意と実行行為を認めたものを含めて一一通の供述調書が作成されるに至ったものと認められる。この間、捜査官から退去権等の告知がなかったことは、第一次逮捕・勾留の場合と同様である。乙田は、証人尋問において、起訴後は任意捜査であるから、被告人が取調べに応じるのであれば、取り調べても構わないと思っていたが、被告人が取調べを拒否することはなかった旨供述するところ、前記3で認定したとおり、被告人は、戊川弁護士を通じての取調拒否の申出も無視され、覚せい剤事件の取調終了後は、もっぱら殺人事件について違法な取調べを連日受け続け、しかも、覚せい剤事件起訴の前日には同弁護士が弁護人を辞任し、裁判官に拘置所移監の職権発動を求めるなどの法的援助を受ける方途もなかったのであるから、捜査官の取調べを明確に拒否しなかったことをもって、取調べを任意に承諾し、これに応じていたものとみることはできず、むしろ、覚せい剤事件起訴前から引き続きなされた取調べにより、弁解の種が尽きてしまい、ついには自白に至ったものとみるのが最も自然である。

ところで、同年二月二四日、戊川弁護士は、再度弁護人選任届を提出し、被告人と接見後、乙田と庚川検事に対して、殺人事件の取調べが行われていることに異議を述べているところ、右接見後に作成された同日付けの被告人の警察官調書(乙四〇)には、「私が事件のことを話したのは、刑事さんから強制されて話したのではなく、罪を償いたいと思い、自分の意思で自分の口で言ったことです。弁護人から殺人事件のことは話す必要がない、どうして君はそんな取調べに応じるのかと言われて怒られたが、私としては、殺人事件で疑われているのであれば、弁解しないといけないと思い、自分から弁解したのです。」旨の記載があるが、その意味が、被告人が自ら積極的に弁解し、自白に至ったということであれば、前記3(三)で認定したとおり、たやすく信用できない。むしろ、右調書が殺人の自白後に作成されたものであることに照らすと、一旦自白してしまった以上、自己に有利な事情や反省の情をできるだけ捜査官に理解してもらって調書に留めようとの心理が働いたものとみるのが自然であり、その後右自白を翻していることからしても、右供述調書の記載をもって、殺人事件の取調べが被告人の任意の承諾に基くものであったと認めることはできない。

(三)  以上によれば、捜査官は、第一次逮捕・勾留に引き続き、起訴後勾留中も、殺人事件について取調受認義務があることを当然の前提として被告人の取調べを行ったものと評価すべきであり、その取調べは、もはや任意捜査の限度を超え、実質的な強制捜査として行われたものであるとともに、令状主義を実質的に潜脱したものといわざるを得ない。したがって、起訴後勾留中に行われた殺人事件の取調べは、前記の余罪取調べの適否に関するいずれの見解によっても、許される余罪取調べの限界を逸脱した違法なものというべきである。

5 第二次逮捕・勾留の適否及び供述調書等の証拠能力

以上検討したとおり、第一次逮捕・勾留中及び起訴後勾留中の殺人事件に関する被告人の取調べは、いずれも許された余罪捜査の限界を超えた違法なものであって、その違法性の程度は重大であり、違法捜査抑制の見地からしても、このような取調べにより得られた供述調書は、憲法三一条、三八条一項、二項の趣旨に照らし、証拠能力を欠くものといわなければならない。なお、本件捜査官には、取調べの違法の認識がなかったという可能性が高いが、本件における違法の重大性と明白性、弁護士による異議の存在等に照らすと、違法の認識の欠如は右結論を左右するものではない。

そうすると、第二次逮捕・勾留は、右証拠能力を欠く被告人の供述調書を重要な疎明資料として請求された逮捕状・勾留状に基づく身柄拘束であったという点において違法であり、また、これまでに認定した起訴後勾留中の被告人の取調状況等に照らせば、同年三月八日から始まった第二次逮捕・勾留が、実質的には、すでに覚せい剤事件の起訴日である二月一七日から始まっていたと評価し得るのであって、これは、事件単位の原則の下、厳格な身柄拘束期間を定めた刑事訴訟法の趣旨が没却され、結果として令状主義が潜脱されたという点においてもやはり違法であり、第二次逮捕・勾留は、結局、二重の意味において違法である。したがって、その間に作成された被告人の供述調書も証拠能力を欠くものといわざるを得ない。さらに、被告人が殺人事件による勾留中に実施された実況見分の調書二通(甲七〇、七一)は、違法な身柄拘束の状態を利用して作成されたものであるから、証拠能力を有しないと考える。

五  結論

以上の次第で、殺人の罪体立証のために請求された被告人の捜査官に対する各供述調書(乙一四ないし二一、二三ないし三五)、実況見分調書二通(甲七〇、七一)はもとより、供述経過を立証趣旨として請求された被告人の捜査官に対する供述調書(乙四〇ないし四四、四六)は、弁護人が主張する自白の任意性について検討するまでもなく、いずれも証拠能力がないことに帰するから、被告人の有罪認定の資料として用いることはできない。

第二  殺人についての事実認定の補足

一  弁護人の主張

弁護人は、判示第三の殺人の事実につき、被告人は、被害者を脅して謝罪させるつもりで、左手に包丁を持って被害者に近づいたところ、被害者が右包丁を取り上げようとして突然被告人に飛びかかってきたため、誤って右包丁が被害者に刺さってしまったものであり、被告人の行為は、過失致死あるいは重過失致死の構成要件的評価にとどめられるべきである旨主張し、被告人も、公判廷において、これに沿う供述をするので、以下検討する。

二  証拠上認められる事実

証拠の標目掲記の判示第三の事実に関する各証拠によれば、以下の事実が認められる。

1 被告人は、平成九年二月と六月に知人の東田四郎から月一割の金利でそれぞれ六〇万円を借り入れ、この中から被害者に合計八五万円を貸し付けたが、被害者が被告人に対して返済しないため、被告人も東田に対して返済ができなかった。そこで、被告人は、同年七月に、被害者を東田に引き合わせて直接弁明させるなどしたが、東田から、自分が金を貸したのはあくまで被告人に対してであり、被害者は関係ないという態度を示され、その後、東田に対して何度か右借入金の返済の繰り延べを申し入れ、最終的には同年八月末を期限とすることで了解を得た。

2 ところが、被告人が被害者の携帯電話に電話しても、被害者が応答しないといったことが続いたため、被告人は、同月一八日及び一九日の夜に、知人の丙田を伴って、当時被告人が使用していたベンツ(以下、「ベンツ」という。)で福岡県筑紫野市大字塔原<番地略>所在の被害者方を訪ねたが、留守だったため、被害者と会うことができなかった。

3 被告人は、同月二一日午後一一時ころ、丙田を伴って、ベンツで被害者方へ向かい、同所付近に同車を停車させていたところ、自動車(以下、「被害者車両」という。)を運転して帰宅した被害者を認めたため、同人を呼び止めた。被告人は、車外で被害者としばらく話をした後、丙田に対して、ベンツを運転して被害者車両に追従するよう指示した上、自らは被害者車両の助手席に乗り込み、移動する車中で、被害者に対して返済を迫り続けたが、被害者は「今日は他に用事がある。」などといって、返済について明確な回答をしなかった。両車両は、その後、福岡県太宰府市大字大佐野<番地略>付近の交差点に差し掛かったが、同交差点で被害者車両が停車したので、丙田もベンツを停車させたところ、被告人が降車してきて、丙田に対し、同交差点を右折してベンツを停車させるように指示した。丙田は、その指示に従って右折し、約三〇メートル位走ったところで同車を停車させた。一方、被害者車両は、その後方約一〇メートルの地点に停車し、被告人と被害者は降車した。

4 被告人は、被害者車両の前で、被害者に対して返済を迫り、次いで、すぐ側の農道を、その先のトンネルの方向に向かって移動し、その場で更に返済を迫ったが、被害者が被告人に対して「逆立ちしてもお金は出てきません。」などと笑いながら言ったため、被告人は、一旦ベンツに戻り、その助手席の下に置いていた刃体の長さ約二〇センチメートルの刺身包丁を取り出して、被害者のところに取って返した。

5 被害者は、同月二二日午前〇時三〇分ころ、前記トンネル手前路上において、被告人所携の右包丁により胸部等に刺切創を負い、死亡した。

6 被告人は、被害者車両のところに戻り、同車内にあった携帯電話機と電子手帳を取り出し、同車両のドアの指紋を上着の袖で拭うなどしてから、ベンツの助手席に乗り込み、右包丁をビニール袋に入れた。被告人は、丙田に指示して同車を発進させ、さらに、同車を道路右側に寄せて徐行するように指示し、丙田が徐行させた際に同車両の助手席の窓を開け、道路脇の畑に右包丁を投げ捨てた。福岡市内に入ると、被告人は、丙田に指示して車を停めさせ、前記のビニール袋等を池の中に投棄し、その後、ガソリンスタンドに立ち寄り、一時間くらいかけて同車両の洗車や車内清掃を行い、同所のトイレ内で上着を着替えた後、被告人の運転で、丙田が居住するマンションに向かった。

7 同日午前三時ころ、同車は右マンションに到着したが、その駐車場において、被告人は、丙田に対し、「金を返さん。今まで落としこまれた。」、「刺した。」、「殺した。」、「刺したときに乙山さんの胸にスーと入った。抜くときもスーと抜けたけん。そんなに簡単に胸に入るもんやろか。」などと言った上、同人に被害者の携帯電話機と電子手帳を預かってくれるように頼んだが、丙田はそれを断った。

8 被害者の死因は、後の鑑定により、胸部刺切創による大血管(上大静脈及び大動脈)損傷に基づく外傷性出血と判断された。

被害者の胸部の損傷は、前胸部正中やや左寄り付近に、刃部を右下、刃背部を左上にして、左前下方から右後上方に向かって体内に刺入し、その刺創の深さは約一九センチメートルで、胸骨を貫通して胸腔内に入り、心膜前面を損傷して上大静脈及び大動脈を切損した後、心膜後面を通過して、右胸腔内に向かい、右肺上葉に刺入し、肺実質内に創底を作るものであった。そのほか、被害者の身体には、防衛創と思われる右手掌母指球部に長さ各3.7センチメートル、1.4センチメートルの各切創や、顔面に固い鈍体が作用したような四か所の圧挫傷等があった。また、被害者着用のネクタイは、結節部分が強く締め付けられている上、その表側中央部と裏側中央部がいずれも破断していた。

三  殺人の事実の認定

1  前記二で認定した諸事実、すなわち、被告人は、他から高利で借り受けた金員を被害者に貸し付けていたところ、同貸付金の返済を受けられず、右借受金についての支払期限が迫っていたことで窮地に立たされており、本件前日の深夜にようやく会うことができた被害者に強く返済を求め続けたにもかかわらず、同人から、笑いながら、返済の見込みがないと告げられ、その直後、ベンツに積載していた刃体の長さ約二〇センチメートルの刺身包丁を持ち出して被害者に近づいたという経緯からすると、被告人が被害者の不誠実な態度に憤激し、あるいは、右包丁を持って同人に近づいた後の展開により、被害者に対する殺意を形成したとしても不自然ではないこと、被害者は、右包丁により、身体の枢要部である胸部に刺創を負って死亡したものであること、右刺創は、胸骨を貫通して胸腔内に入り、肺実質内に創底を作る深さ約一九センチメートルのものであって、凶器が鋭利な刺身包丁であることを考慮しても、右刺入の際には、相当に強い力が加わっていたものと考えられること、右刺入の後、被告人は、被害者車両から携帯電話機等を持ち出し、車体の指紋を拭き取り、右包丁等を投棄するなどの犯跡隠滅行為を次々と済ませ、更には、丙田に対して、被害者を「刺した」、「殺した」などと告げ、その動機とも解される被害者への非難をも口にしていることなどを総合すると、被告人が、殺意をもって、被害者の胸部を右包丁で突き刺したことが強く推認され、これを左右する証拠がない限り、右事実は合理的な疑いを残すことなく証明されたものということができる。

2  被告人は、公判廷において、「私は、被害者に対して返済を求め続けたが、本件の現場において、被害者が「逆立ちしてもお金は出てきません。」と笑いながら言ったので、被害者を脅してでも土下座させようと思い、ベンツから刺身包丁を取り出し、それを左手に持って被害者のところに戻った。そして、被害者との距離が約二メートルになったときに、被害者が、包丁を取ろうとして、その左肩を私の体の中心に向け、前屈みの姿勢で、私の左手の方に向かって、両手でつかみかかるようにして飛び掛かってきたので、包丁を取られまいとして、左手を自分の体の内側に向けて曲げ、包丁を右方向に振ったが、被害者の頭が私の鼻の辺りに当たったのと同時に、被害者の胸に刺さってしまった。そして、私が右手で被害者の首の下辺りを押すようにしたところ、包丁が被害者の体から抜け、被害者はそのまま下に倒れた。」旨弁解し、第七回公判期日において、右弁解内容について、両者の身体の動きを再現した。

しかし、前記のとおり、右包丁が被害者の身体に刺入された際、胸骨を貫通して一九センチメートルの深さに達するほどの強い力が加わっていたと認められるところ、被害者が被告人の前方約二メートルの位置から、右包丁を取り上げようとして接近した行為のみによって、このような強い力が加わったとは到底考えられない。また、右刺創は、被害者の前胸部正中やや左寄り付近に形成され、左前下方から右後上方に向かうものであるところ、この刺入方向は、被告人が供述する刺入時の被告人と被害者の体勢や、「左手を自分の体の内側に向けて曲げ、包丁を右方向に振った」という包丁の動きとも明らかに矛盾する。更に、包丁が被害者の胸部に刺入し、被害者がその場に崩れ落ちた後の被告人の言動は、予期しない重大な事態を発生させた当事者のそれとは到底考えられず、とりわけ、丙田に対して、被害者を包丁で刺した、殺したなどと打ち明けたことについて、合理的な説明は不可能である。

したがって、被告人の右弁解は到底信用できず、そのほかに前記推認を揺るがす証拠は見当たらない。

3 よって、判示第三の事実は優にこれを認定することができ、弁護人の主張は採用しない。

(量刑の理由)

本件は、判示のとおり覚せい剤の自己使用及び所持並びに殺人の事案である。

覚せい剤取締法違反の罪については、被告人は、平成五年ころから覚せい剤の使用を繰り返していたもので、高い常習性が認められ、再犯のおそれも否定できないところである。

殺人の犯行は、鋭利な刺身包丁で被害者の胸部を一突きにして殺害したというものであって、その態様は悪質である。被告人は、本件凶行により、未だ五二歳の被害者の尊い生命を奪ったものであり、一家の支柱を失った被害者の妻子は、悲嘆に暮れ、生活にも困窮していて、当然のことながら、その被害感情は深刻である。本件の結果は誠に重大というべきである。それにもかかわらず、被告人は、被害者の遺族らに対して何らの慰謝の措置も講じていない。

右の諸点に照らすと、被告人の刑事責任は重大である。

他方、被告人には前科前歴がないこと、被告人は、覚せい剤取締法違反の事実については素直に認め、二度と覚せい剤には手を出さないと述べていること、殺人の犯行については、被告人の殺意は、被害者が被告人の包丁を取り上げようとした際に咄嗟に生じたものである可能性を否定できず、したがって未必の殺意が認定できるに止まり、偶発的な犯行であった可能性も否定できないこと、被告人は殺意については否認するが、自らの行為によって被害者を死に至らしめたことについては反省している旨述べていること、被告人の父親が、被告人の社会復帰後は被告人を受け入れると述べていることなど、被告人のために酌むべき事情もある。

そこで、以上の犯情及び情状を総合考慮し、主文の刑を量定した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・仲家暢彦、裁判官・家令和典、裁判官・杉原崇夫)

(別紙)

取調べ等の状況(なお、以下に取調時間として示したのは、被告人が留置場に出入りした時間であるから、厳密にはそれよりも短くなる。括弧内に示したのは、一〇分未満を切り捨てた合計取調時間と作成された調書の検察官請求番号及び枚数である。)

1.27

午後二時ころ、筑紫野署に任意出頭、同六時ころまで殺人の取調べ、同一二時過ぎころまで覚せい剤及び殺人の取調べ

28

午前零時四〇分、覚せい剤使用の事実で逮捕、直ちに弁解録取書作成(乙三六)、同九時三〇分から同一一時一七分、午後一時三五分から同四時一〇分、同六時三五分から同七時四五分まで取調べ(合計五時間三〇分、乙1.6枚綴り作成)

29

午前九時ころ検察庁に押送、弁解録取書作成(乙三七)、その後、勾留質問(乙三八)、午後五時一七分帰署、同五時五五分から同九時一五分まで取調べ(合計三時間二〇分)、午後九時二四分ころ、春山九郎弁護士と接見

30

午前一〇時二〇分から同一一時四〇分、午後一時二五分から同四時四〇分、同六時から同六時五五分まで取調べ(合計五時間三〇分)、同七時一〇分ころ、□□病院で受診、同七時四五分帰署

31

午前一〇時三五分から同一一時四五分、午後一時二〇分から同四時、同六時三〇分から同九時五分まで取調べ(合計六時間二〇分、乙2.4枚綴り作成)

2.1

午前九時四〇分から同一一時五〇分、午後一時四〇分から同四時三八分まで取調べ、同六時五七分ころ、戊川七郎弁護人と接見、同七時三三分から同九時三〇分まで取調べ(合計七時間、乙3.7枚綴り作成)

2

午前九時四〇分から同一一時二〇分、午後三時二六分から同四時三〇分、同六時五〇分から同八時四〇分まで取調べ(合計四時間三〇分、乙4.11枚綴り作成)

3

午前一〇時から同一一時三〇分、午後一時二八分から同四時二五分、同七時一〇分から同九時五分まで取調べ(合計六時間二〇分)

4

午前九時五五分から同一一時三〇分、午後一時一七分から同四時三〇分、同六時三〇分から同八時五五分まで取調べ(合計七時間一〇分)

5

午前八時三〇分から午後一時三五分(検事調べ)、同一時五〇分から同四時二八分、同六時一〇分から同八時二〇分まで取調べ(検事調べを除いて、合計四時間四〇分)

6

午前一〇時六分から同一一時三七分、午後一時二六分から同四時一五分、同六時一五分から同八時五〇分まで取調べ(合計六時間五〇分)

7

午前九時二〇分から同一一時二五分、午後二時四〇分から同三時三〇分まで取調べ、同三時三三分ころ、戊川弁護人と接見、同六時二〇分から同八時二〇分まで取調べ(合計四時間五〇分、乙5.6枚綴り作成)

8

午前九時五〇分から同一一時二八分、午後一時三〇分から同四時二五分、同六時五分から同八時三〇分まで取調べ(合計六時間五〇分、乙6.8枚綴り作成)

9

午前一〇時から同一一時二五分、午後一時五五分から同四時三八分(うち同三時一〇分から同三時二五分までは、戊川弁護人との接見)、同六時四〇分から同八時二〇分まで取調べ(合計五時間三〇分、乙7.4枚及び乙8.11枚綴り各作成)

10

午前一〇時五分から同一一時三〇分、午後一時三四分から同四時二一分、同六時七分から同八時三〇分まで取調べ(合計六時間三〇分、乙9.5枚及び乙10.5枚綴り各作成)

11

午前一〇時一五分から同一一時五〇分、午後一時から同四時三四分、同六時一分から同八時二〇分まで取調べ(合計七時間二〇分)

12

午前一〇時から同一一時三〇分、午後一時三〇分から同四時二〇分、同六時一〇分から同九時二〇分まで取調べ(合計七時間三〇分)

13

午前一一時四〇分ころ、戊川弁護人と接見、午後一時から同四時、同六時から同八時一五分まで取調べ(合計五時間一〇分)

14

午前一〇時三〇分から午後零時二五分、同一時四〇分から同三時三五分、同六時から同九時三〇分まで取調べ(合計七時間二〇分)

15

午前一〇時ころ、△△歯科で受診、同一〇時三六分帰署、午後一時から同五時四〇分(検事調べ、乙11.6枚及び乙12.5枚綴りの各検察官調書作成)、同六時一五分から同二二時一五分まで取調べ(検事調べを除いて、合計四時間)

16

午前九時三〇分から同一一時四九分まで、覚せい剤使用場所等の引き当たり捜査、午後零時五五分ころ、戊川弁護人と接見、同一時一三分から同四時二四分、同六時一分から同八時三八分まで取調べ(合計五時間四〇分)

17

【覚せい剤事件の起訴】

午前九時から同九時四五分まで取調べ、同時刻ころ、△△歯科で受診、同一〇時二五分帰署、同一〇時三〇分から同一一時一五分、午後一時一〇分から同三時五分、同六時三分から同八時三五分まで取調べ(合計五時間五〇分)

18

午後一時一〇分から同三時一二分、同六時から同七時三〇分まで取調べ(合計三時間三〇分)

19

午後一時ころから、福岡県警察本部においてポリグラフ検査等、同五時三五分に帰署、同六時四〇分から同一一時一五分まで取調べ(合計四時間三〇分、殺人の最初の自白調書である乙14.5枚綴り作成)

20

午後一時から同四時四〇分、同五時四五分から同六時四五分まで取調べ(合計四時間四〇分、乙15.4枚及び乙16.4枚綴り各作成)

21

午前一〇時五五分から同一一時四〇分、午後一時一七分から同四時三五分、同五時五〇分から同八時二〇分まで取調べ(合計六時間三〇分、乙17.5枚、乙18.8枚及び乙19.3枚綴り各作成)

22

午前一〇時ころ、△△歯科で受診、同一〇時三七分帰署、同一〇時四五分から午後零時、同二時から同四時四〇分、同六時一五分から同七時二二分まで取調べ(合計五時間、乙20.7枚綴り作成)

23

午前一〇時五分から午後四時一五分まで、犯行場所等の引き当たり捜査、同五時五〇分から同六時三五分まで取調べ(合計四〇分)

24

午前九時三五分から同一一時二三分まで取調べ、午後零時六分ころ、戊川弁護人と接見、同一時二一分から同三時五〇分、同六時一五分から同七時二五分まで取調べ(合計五時間二〇分、乙40.4枚及び乙41.4枚綴り各作成)

25

午前九時四五分から同一一時二〇分、午後一時三五分から同四時二〇分まで取調べ(合計四時間二〇分、乙21.6枚綴り作成)

26

午後一時二五分から同二時五七分まで取調べ(合計一時間三〇分、乙42.5枚綴り作成)

27

取調べなし、午後三時四〇分ころ、戊川弁護人と接見

28

取調べなし

3.1

午後一時八分から同四時三分、同五時五〇分から同七時三分まで取調べ(合計四時間)

2

午前九時五三分から同一一時一五分、午後一時五分から同二時三五分、同六時一分から同七時四〇分まで取調べ(合計四時間三〇分)

3

午後一時一四分から同四時二〇分まで取調べ(合計三時間)、同七時五八分ころ、戊川弁護人と接見

4

午後一時三四分から同四時五分まで取調べ(合計二時間三〇分)

5

午後一時二四分から同三時五三分、同六時三分から同六時四〇分まで取調べ(合計三時間)

6

午後零時五七分から同二時四五分まで取調べ(合計一時間四〇分)、同三時四五分ころ、戊川弁護人と接見

7

取調べなし

8

午前一〇時四分から同一一時二一分まで取調べ(合計一時間一〇分)、午後二時三九分、殺人の事実で逮捕、直ちに弁解録取書作成(乙四三)、同四時五六分まで取調べ、同七時七分ころ、戊川弁護人と接見

以 上

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